能古島関係史料年表(前近代編)

  ・お気付きの点があったら、是非、ご教示下さい。


天平 3(731) 7.5
住吉大社司解「筑前国那珂郡住吉荒魂社(中略)能護嶋為御厨所領」 平安遺文10

天平 8(736) ―
万葉集15「韓亭能許の浦波立たぬ日はあれども家に恋ひぬ日はなし」 古典体系・県史続4

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万葉集16「沖つ鳥鴨とふ船の還り来ば也良の崎守早く告げこそ」 古典体系・県史続4

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万葉集16「沖つ鳥鴨とふ船は也良の崎たえてこきくときかれこぬかは」 古典体系・県史続4

承和14(847) 9.17
入唐求法巡礼行記「至博太西南能挙嶋下泊舩」 東洋文庫442

延長 5(927) ―
延喜式・兵部式「諸国馬牛牧(中略)筑前国〈能臣嶋馬牧〉」 交替式

寛仁 3(1019) 4.16
大宰府解「言上刀伊国賊徒或撃取或逃却状(中略)八日移来同国那珂郡能古島、重録在状言上又了」 朝野群載

         4.17 「今月七日書云、刀伊国者五十余艘来(中略)八日送内房帥書同飛騨持来云、件異国船来着乃古島、」 小右記

         4.18 「府解文云、刀伊国撃対馬壱岐等嶋(中略)又筑前国乃古島(警固近々所云々)」 小右記

         4.25 「異国八日俄来着能古島、同九日乱登博多田」 小右記

弘安 4(1281)―
八幡愚童訓「それより筥崎の前なる能古・志賀の二島にそつきにける、これを見て高麗の舟、宗像よりおしいたし、蒙古と一つになりにける」 大宰府史料8


河野家譜「対馬守通有 上野介通継也、弘安四年蒙古襲来、大軍充満志賀・鷹島・能古等之海岸矣」 大宰府史料8


豫章記「通有〈河野六郎任対馬守〉弘安四年蒙古襲来ス、大軍志賀・鷹・能古等島々海上ニ充満セリ」 大宰府史料8


北肥戦誌「一異賊襲来の事、斯かるに處に、弘安四年辛巳五月廿日、又蒙古が船四千餘艘、壱岐へ著船し、筑前内志賀・野子の浦より東の海上を、尺寸の隙もなく船筏を組んで、陸地の如く行く路を自由に横行し、即時に博多・箱崎へ攻め入らんとす」 大宰府史料8

応安 1(1368) ―
蕉堅稿「題野古島僧房壁 絶島一螺翠、扁舟數夜維、偶來幽隱地、似與老僧期、脱衲掛松樹、煎茶燒竹枝、重遊定何日、臨別悵題詩」 五山文学全集2

享徳 1(1452) 9.22
釈笑雲入明記「一号回棹平戸島、二号将皈野古」 続史籍集覧1

文正 2(1467) 3.28
戊子入明記「琉黄事、赤間関道場・門司大通寺・答崎・志賀・野古、一万斤在之」 大日本史料8-1

文明12(1480) 9.21
筑紫道記「万葉によめるおのころ嶋も間近く見えて」 新古典51

― ― 10.19 内藤隆春知行注文「注文(中略)一能古嶋 廿五石足、以上高橋鑑種抱之」 萩藩閥閲録3

天正14(1586) 8.―
豊前覚書「一菩州衆引捕申候間、扨ハ十年籠城仕ニ付而、惣小屋下リ被申候間、我々も為用意、連阿弥と申者、能古嶋家葺萱切せニ遣候所ニ、彼嶋にて取沙汰申候分ハ、二三日中ニ原田衆稲なきニ罷出候由風聞申候間、拙者使之連阿弥、姪浜へ罷出、彼様子承候処、八月十七日之由、那珂郡へ罷出、稲なき申候事必定之由承付候て、彼使如此候段為可申、能古嶋より罷帰候間、一段神妙之由申候て、連阿弥無他言様ニ口ヲ留…」

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筑前国田畠之高村々指出前之帳「早良郡(中略)残島村〔田数〕13町0328〔分 県史1米〕161石827〔畠数〕11町2121〔分大豆〕44石173〔合田畠〕24町2519 〔并米大豆〕206町000」

慶長 5(1605) ―
福岡藩主家譜一「今年長政浦々に掟を出さる(中略)早良郡 姪濱 残島」 県史3

寛永 5(1628) 閏1.11
福岡藩郡役所記録「一給知に不被仰付候村々、被相定候事(中略)一早良郡之内 鳥飼 荒江 麁原 野芥 原 干熊 橋本 西脇 姪濱 残島」 県史4

寛文 4(1664) 閏5.12
福岡藩浦役所記録「一残嶋馬牧之間水夫銀御免之事」 県史5

宝永 4(1707) 正.21
御用帳書抜郡町浦雑之部「早良郡残島之内北浦、今月五日火災ニ而浦人数廿五人之家数四十二軒焼失」 福岡県史

享和 2(1717) 12.18
福岡藩浦役所記録「一残島之内かんたんと申所の石、御要害御用斗被取用候趣、石屋共え御達之事」 県史5

天明 2(1782) 8.27
町郡浦御用帳雑之部「去ル廿三日残島浦後手磯口男死骸壱人流寄候」 福岡県史

         8.27 秘記町郡浦御用帳「去ル廿三日残島浦後年磯口男死骸壱人流寄候」 福岡県史

         9.22 町郡浦御用帳雑之部「残島居船頭伊右衛門沖船頭次郎吉船、加子共ニ二拾人乗、津軽越中守殿御米并ニ御用之船積合出帆候処、当五月五日上総国大東崎灘ニ而及破船候」 福岡県史

         9.22 秘記町郡浦御用帳「残島居船頭伊右衛門沖船頭次郎吉船、加子共ニ弐十人乗、津軽越中守殿御米并御用之船積合出帆候処、当五月五日上総国右東崎灘ニ而及破船候」 福岡県史

         10.朔 秘記町郡浦御用帳「当島糀室無之、所中難渋之儀も有之候」 福岡県史

文化 9(1812) ―
福岡藩郡方覚「〔給米〕五 残島五平」 県史7

文化10(1813) 5.15
文化十癸酉年五月ヨリ郡浦御用頭付「一残嶋鹿打払之模様申上置候事」 郡浦御用頭付

天保 3(1832) 3.25
綱領二「一齋?始テ若杉山獵〈始テノ儀調ヘ二月廿九日ニモ能古追山御覧、御矢放シ有之と雖トモ獵ト申程ニ無之、但山御獵之節之定則相触出ス、委細ニ別記ニ在〉」 新訂黒田家譜7上

天保 5(1834) ―
天保五年筑前各郡村石高帳「早良郡(中略)四三六石四斗二升四合」 県史2

嘉永 6(1853) ―
嘉永六年癸丑以来福岡藩史編輯資料「一英国大軍戦艦将アドミラール大小四艘ト覚ユ渡来(中略)但其前日残嶋銃獵御許等其節ノ始末」 新訂黒田家譜7中

安政 5(1858) 4.19
綱領九「一幕府西洋製船、残島獵乗組ノ役人ニ拝見被仰付」 新訂黒田家譜7上

文久 1(1861) 4.12
綱領十「一志賀・能古・荒戸山エ大砲備置」 新訂黒田家譜7上

慶応 2(1866) 12.―
嘉永六年癸丑以来福岡藩史編輯資料「一慶應二年十二月、英国軍艦内海ニ参リ候節、右艦中え両公御乗込ミ、且能古嶋狩獵及ヒ箱崎調練之形況一切御取調之事」 新訂黒田家譜7中



〔出典略号一覧〕

県史=『福岡県史資料』、交替式=『新訂増補国史大系26 交替式』、朝野群載=『新訂増補国史大系29上 朝野群載』、小右記=『史料大成2 小右記二』、大宰府史料=『大宰府太宰府天満宮史料』、新古典=『新古典文学体系』、福岡県史=『福岡県史 近世史料編福岡藩御用帳(一)』、郡浦御用頭付=『九州文化史研究所史料集T 福岡藩郡浦御用頭付』